■サポーター 長谷川美智子さん 公益社団法人 京都保健会 吉祥院病院 看護師・・・2025.3.25
『共にケアする』 〜地域の人と認知症ケアを〜
春が訪れると、自然の中で新たな命が芽吹く様子を見て、心が癒されます。私も、看護師として20年間病院で過ごした後、初めての異動を経験しました。
新しい職場は、外来と病棟のほか、訪問看護ステーションや往診機能を持つ病院です。毎日が新鮮で、ワクワクしながら仕事に取り組んでいます。
先日、外来受診日の連絡をしても電話に出ない高齢患者さんがいました。職員が心配して自宅アパートを訪ねると、部屋は明るかったのですが、いくら呼びかけても応答がありません。その際、地域の人や職員に情報を求めると、「近所の方がお世話をしている」との話がありました。そこで、その方を訪ねると、「2日前も元気やったで。何かあったときのために鍵を預かっているから、一緒に見に行こう」と快く申し出てくださいました。結果、難聴のため聞こえなかっただけで、患者さんはテレビを見ながら元気に過ごしていました。「おおきに」と笑顔で迎えてくださった姿に、私たちもホッとし、地域のつながりの温かさを改めて感じました。
せん妄予防の鍵は「いつもの生活」
京都の新オレンジプランは、地域全体が協力して高齢者や認知症の方の生活を支える包括的なケアシステムです。この取り組みの一環として、病院では認知症ケアの質を向上させるために看護研修を継続しています。特に入院時に起こりやすい「せん妄」への対応を学びます。せん妄は、普段と異なる環境で治療を受けることで意識が混乱する状態ですが、これを防ぐためには「患者さんの日常に近づけるケア」が重要です。
例えば、普段飲んでいるお茶を用意する、馴染みのある音楽を流すといった、小さな工夫が大きな安心につながります。
地域のボランティアと共に歩む認知症ケア
前職では、病院と地域住民が協力し「せん妄・認知症ケア」に取り組むプロジェクトを立ち上げました。
昨年7月に始動し、現在は8名のボランティアが活躍しています。患者さんとの会話を大切にし、好きな食べ物(牛肉が好きな方が多い!)の話で盛り上がることも多くあります。また、「なぜ病気になったのか」を考え、自分の人生を振り返る方も少なくありません。
ある患者さんは、「故郷の能登半島のことを思うと辛くて体調を崩した」と語っていました。このように、地域の方々と共に支えることで、患者さんが心を開き、安心して過ごせる環境を作ることができます。病院と地域の連携は、認知症ケアにおいて欠かせない要素です。
私自身も、患者さんや地域の方々と共に歩みながら、ケアを届けていきたいと思っています。
■サポーター 田中京子さん 看護師・・・2025.3.7
2018年に京都でもレビー小体型認知症の交流会を開こうと代表の布施さんからお声がけ頂き、一緒に交流会の準備や当日の運営にかかわらせて頂きました。今回はその中で感じたことを少し書かせていただき、このホームページをご覧になる方の一助になればと思います。
発足当時から、専門医の先生方がわかりやすい言葉で、病気の学習もでき、スタッフも一緒に学んできました。そして、ご本人やご家族のお話しを伺い、
スタッフ自身も追体験でき交流会の一つ一つが身に染みています。
一般的にはまだまだ専門の先生が少ない中 ここにはこんなにも心強いチームがいてくれると、本当に頼もしい思いでした。そして、このように困っているご本人やご家族の思いを受け止め、寄り添える介護・医療専門職が増えなくてはいけないと思ったものでした。現在も、もちろんそう考えています。
今でもまだまだ、レビー小体型認知症の診断を受け、症状が出現することで施設での対応に困惑し躊躇することもあるようです。この病気がさらに一般的になり、多くのスタッフで見守っていける時代が早く訪ることを期待しています。
皆さんの様々な経験を聞くことでも、当事者でなくても参加されたほかの家族様も自らの経験にすることはできます。
例えば……
年齢の若いレビー小体症の方のお話を伺う機会がありました。実在しないものがとてもリアルに見えている病気ということを再確認し、頭ごなしに「そんなものないよ」というのではなく、今の私なら「私には見えないけど、もし触れそうなら一緒に触ってみようか」「○○さんには見えるのですね」と励ましたり同調することはできるなあと感じています。
また、以前関わったことのある方は窓の外に干してあるオレンジのタオルが、外で炎が上がっているように見えたという訴えや 突然壁を叩いて激高された方は何に怒っているの?何が見えているのだろうと思えるようになりました。
実際 実父もレビー小体型認知症の診断を受けベッドの横にゴミがたくさんあって、箒ではくような様子があったり、ある時突然に「こんなことは役所に連絡しなあかん。電話を持ってこい!」と家族を困らせていました。私自身は当時関われず反省していますが、家族は不安ばかりだったと今は思っています。
母はその様子を「怖かった」と話していました。父がどうなっていくのか不安だったのだろうと思います。
しかし、この交流会でご本人の発言として「小人が出てきてにぎやかにしてくれる。淋しくなくていいんや」と話される方もおられ、悪い事ばかりではないと思えるようになりました。
家族様も含め交流会には「近所の方に迷惑をかけている」など悩んで「どのような介護・支援をすればいいのか」と相談に来られる方が圧倒的に多く、そのような支えになれるような交流会にしたいとスタッフ一同考えております。
■杉本医院 協力医:杉本英造先生・・・2024.12.16
「認知症治療に多職種連携・協働は不可欠」
2019(令和元)年における我が国の平均寿命は男性81.41歳、女性87.45歳ですが、健康寿命は、男性が72.68歳、女性が75.38歳。
認知症の高齢者は471万人。団塊の世代(昭和22~24年生)が75歳以上(後期高齢者)になる2025年がやってきます。高齢人口の増加に伴い認知症も増加すると予想されます。認知症治療・ケアは在宅医療であればある程度家庭状況を把握できますが、外来診療だけでは患者さんの背景・家族の悩みを十分把握できないことが多く、本人だけでなく、家族もふくめてケアしていく必要があります。
認知症の夫を介護していた妻が筋萎縮性側索硬化症に罹患し、介護困難になり、構音障害で返事がうまくできないことを認知症の夫は理解できず「返事しろ」と怒鳴り暴力行為。
また、高次機能障害の子息と暮らす認知症の母が毎日7000円の買い物をして冷蔵庫一杯の期限切れ食品であふれ、さらに悪徳通販とのトラブル。
医療と介護の連携・協働がなければ立ち行かなくなると日々痛感しています。
2011年(平成23年)中京区認知症連携の会を協力医:辻輝之先生たちと発足させ13年が経過しました。医・歯・薬、看護、介護職、地域包括、区役所、保健センターが2か月に1回集まり推進会議を開催しています。認知症フォーラム、研修会、認知症サポーター養成講座(小・中・高校、職場への出前講座)の企画・催行、毎月第4火曜日に開催しているオレンジカフェの運営について協議し、顔のみえる関係作りを構築し、認知症ケアのスキルアップを図っています。困難事例があれば皆で解決策を話し合い、協力します。
第1回の区民フォーラムで、認知症の人と家族の会の方からの「アルツハイマー型認知症の診断をつけてアリセプト処方しておしまいの治療はやめてください」発言は今も脳裏に焼き付いていますし、多職種協働、市民への啓蒙活動を今後も推進していくことは不可欠です。
認知症診断で使用する長谷川式簡易知能評価スケールを考案された長谷川和夫先生が認知症を公表されたように、誰もが認知症になりうる長寿時代に、認知症になっても本人の意思が尊重され、住み慣れた地域で暮らし続けられる社会(認知症になっても安心して暮らせる)京都式オレンジプラン10のアイメッセージを具現化するためには人の輪と和が必要です。
連携の会の広がりが京都市中京区在宅医療・介護連携支援センターの礎となり認知症だけでなく様々のケアへ発展しているのを実感しています。。
■数年ぶりにDLBSN京都サポートメンバーで懇親会を開催しました。
ちょっとご紹介・・・
リモートや交流会ではお目にかかっていましたが、やはりリアルでお話できると距離がぐっと近くなりますね。
当日、4名の参加が叶いませんでしたが、あっという間のひとときでした。
来年は運営8年目になります。引き続き、皆さまのご協力を得て運営させて戴きたいと思います。
ご意見等ございましたら、是非 メール等でお知らせ戴けたら幸いです。
宜しくお願い致します。
■辻医院 協力医:辻輝之先生・・・2024.9.8
「認知症基本法に寄せて」
「脳とお金は使えば減る」
岩田誠先生のご講演でお聞きしていらい、気に入って使わせていただいているフレーズです。私の心の中では「どっこいこころはいきている」が続きます。
私の脳はアルツハイマー病かもしれないけれど、私のこころはアルツハイマー病ではない、あるいは、私の脳はレビー小体病かもしれないけれど、私のこころは、かわらず、私のもの、そんな声が聞こえてきます。私なら、こころも病んでいると思われると、なにくそっと思うでしょうし、私の知らないところで、私のことを話したりきめたりされると反発するとおもいます。
認知症には、そんなこころの力が秘められているように思えます。それは、社会を変える力となります。
認知症を持つ人の力が、家族・ケアラーの力、つながる力になる。DLBサポートネットワークもそのひとつだと思います。
脳の変化にどう備え、どう対処するか、一緒に考えたい。そんな「備忘」はチームをつくるし、そこに知恵と楽しみの広がりをもたらします。
「雨また楽し、かささせば」、一緒にさせばなおのことです。
そんなかぎられた場だけではなく、地域で、学校で、子供たちもいっしょに認知症をかんがえる、かんがえたことを家族ではなしあう、そんな風に、認知症の国家戦略(認知症基本法)が地域をつなぐことを期待したい。それが、お上からではなく身近なところから始まるような、そんな未来なら安心できると思います。
老化から認知症を分けた1980年代、分けたことでアルツハイマー病研究は一気に進みました。その中心に祭り上げられたアミロイドですが、年を取ればみんなが持っているアミロイドが、原因?という疑問の声は当初から現在にいたるまで続いています。
一方のレビー小体病が分けられたのは2000年ころで、パーキンソン病に関連したものとして、古くは皮質下痴呆と呼ばれてきた一群ともいえます。
そのパーキンソン病もまた老いと密接に関係します。
老いからわけたのは、理解と支援のためであるべきですが、ケアをともなわない過度な医療化は、常に分断から排除へむかうリスクになります。
老いとともに、杖が必要なら杖を、車椅子が必要なら車椅子を用意する。そこまではできるようになった。でも、車椅子を使う人がいまの100倍になったら、社会が変わらなくてはいけないでしょう。認知症をもつ人が600万人になったら社会をどう変えるべきなのでしょう?老いは脳にも負担をしいることになるわけですが、脳にとっての杖、脳にとっての車いすは何だろう。「こころは誰にも見えないのだから/見えるものよりも大事にするといい」※4
”I have dementia,I also have life”※3これは、英国認知症国家戦略の広報で使われた言葉です。「私は認知症を持っています。私は”ライフ”も持っているのです」。
ライフ には、人生 生命 生活の三つの意味があります。これらは、言うまでもなく、奪われてはいけないもの、奪ってはいけないものです。
奪うものの代表は、疾病・障害、人、社会ですから、奪われないための「人」、奪われないための「社会」を私たちはうみだしてきたし、うみだしつづけているのかもしれない。そんな「人」や「社会」に求められるものは、排除ではなく包摂です。同じ船にのる仲間として、力をあわせる、あわせてきた「家族」として。力の源は「関心」を持ち続けることです。私とあなたの、対等でお互い様(さま)の関心(ケア)、それをひきだすケア、あるいはそのための支援、社会資源が求められます。
逆に安全第一は関心を殺す、つまりは心を殺すことになりがちです。安全secureとは、se・cure「ケアがないこと」でもあります。
このように認知症という障がいは社会を変える力があります。いつのころからか、海の向こうでは、障がい者をザ・チャレンジドと呼ぶそうです。
つまり、障がいは社会の負担ではなく、社会に再分配を求める運動であり、保護ではなく未来への権利、つまり基本的人権への課題(チャレンジ)だということです。
■DLBSN京都 代表 布施美幸・・・2024.8.11
2018年から活動を開始し6年目を迎えました。振り返ると、あっという間だったように思います。
コロナ感染拡大前までは、参加者も概ね30~40名程で、ご本人・ご家族・医療、介護の専門職多数が同席し、いくつかのグループに分かれての相談会という感じでしたが、家族介護者のアンケートから「もっと同じ病気を介護している方の声を聞きたい・交流したい」というご意見を頂戴し、コロナ感染が少し落ち着いた頃からは、6組12名と定員を設けて小規模での開催に変更させて戴きました。
また、実践経験のある医療・介護の多職種が同席し、その時々のご相談内容についての助言や情報提供して戴ける体制を整えました。何よりも実際に介護されている方からの生の声を聞かせて戴くことで、専門職も学びの多い時間となっています。
これからも少しづつ、ニーズにあわせて変化・進化していけるような運営をしたいと思っています。
私の母もレビー小体型認知症の診断を受けましたが、小坂先生の本を読んだだけで交流会に参加される方のような知識は持ち合わせていませんでした。
とにかく、一緒に介護する父・夫に「不安を取り除く・安心感を持ってもらう」ということを伝え、それぞれが感じるやり方で接してもらうようにしました。
レビー小体型認知症は病気の特性から、介護者は精神面でのアップダウンを経験します。その気持ちのコントロールに疲弊します。「ああ、今日は今まで通りのお母さんや」と思っていると数時間後には「あれっ」となりこの繰り返しです。私は母の介護の時に何度も浴室で泣いて吐き出して気持ちを切りかえていました。父と夫が介護に協力してくれたことと、信頼できる医師・訪問看護さんのサポートがあり、最期まで家族の役割が果たせたように思います。
私はケアマネジャーという仕事をしていますが、家族の介護では「いち家族介護者」でした。看護師さんのサポートがあったから冷静な判断や対応ができたように思います。エピソードの一つとして、母の性格等を踏まえて 入浴は訪問入浴を利用せず ベッドを浴槽にして入浴させて戴きました。必要な備品などの準備は夫が行い、父も役割を持ち家族も一緒に参加して入浴ができました。そういう時間を共に過ごせたことは良い思い出として残っています。
患者さんを中心として家族・医師・支援者が加わり、チームで関われるサポート体制ができると、介護は心身共にうんと楽になると思います。
1人で抱え込まない 家族だけで抱え込まない こんなことに悩んでいる こんなことに困っている という事を声に出して発信することは大切だと思います。そういう発信できる場・社会資源の一つとして、DLBSN京都を活用して戴ければいいなあ~といつも願っています。
■京都府立医科大学大学院 医学研究科 精神機能病態学 教授 協力医:成本 迅先生・・・2024.5.3
皆さんは、新しく家電製品を購入したり、行ったことのない土地でレストランを探したりするときにはどのように情報を集めますか?
私はインターネットで検索して口コミを頼りにすることが多いです。
ただ、医療に関しては、インターネットでなかなか信頼できる口コミに出会うことが難しいのが現状です。
レビー小体型認知症は、調子が一日の中でも変動したり、転びやすさや身体の動かしにくさなどの身体の症状と、幻視などの精神的な症状の両方を抱える人もいたりして、脳神経内科と精神科の両方を受診しないといけない場合もあり、長い病気との付き合いの中で信頼でき付き合いやすい医師と出会いたくなる気持ちはよく分かります。自分に合う医療機関を探していくつもの病院に受診した経験がある方にも出会います。
DLBサポートネットワークでは、先にレビー小体型認知症を発症してさまざまな経験をしたご本人の方や、家族の方が参加しておられ、実際に体験したことを聞くことができます。これは、新しくこれから病気との付き合いを始めなければならなくなった人にとってとても役立つ口コミになることでしょう。
またこれまでレビー小体型認知症の人の支援経験がない専門職にも、当事者の方たちがどんな経験をされているのかを聞くことはとても参考になります。
今年の1月から「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が施行されましたが、そこでは本人発信の場を作っていくことも盛り込まれています。
その背景には、当事者同士の出会いが病気と付き合っていく上で力になることと、当事者の視点からの経験が支援体制作りに欠かせないことが理由となっています。DLBサポートネットワークが、レビー小体型認知症の人にとっての発信の場であり、病気と付き合う上での力を得る場になることを願っています。
■京都鞍馬口医療センター 院長 顧問医:水野敏樹先生・・・2024.4.1
「DLB患者さんが見る幻視?幻覚?夢?」
DLBの患者さんが訴える幻視・幻覚症状は様々であり、時には夢ではないかと思うことも多いです。
代表的な幻視症状として子供が遊んでいる、知らない人が立っている、亡くなったはずの母がいるなどは患者さんに危害を加えるものではないのでまだ無害と言えるかもしれません。「お茶を差し上げないと」お客さん扱いする患者さんも比較的多く、知らない困った人が入ってきたという認識もないのはどういう判断なのだろうと介護者が思ってしまうことはありますが、それでもまだ対応には困らない範疇だと思います。
私が診察時に必ず患者さんに聞くようにしていることとして、その知らない人は困ったことをされますか? 怖い人ですか?という質問をすることにしています。その理由は先日逝去された小阪先生が講演で示された夜トイレにいくとお化けがいるという幻覚の話が印象的だったからです。
患者さんが書かれたおどろおどろしい絵を見せられると、患者さんが夜トイレへ行きたくないのも当然だと思います。
介護者の方が“どうしてトイレの前で汚すの”と思うのも当たり前ですが、患者さんの立場からすれば扉を開けた途端に怖いお化けが見えたら、失禁してしまうのもしかりです。しかし患者さんからは失禁した理由を聞き出すことは簡単ではありません。誰でもその言い訳には困るからです。
できれば患者さんも黙って自分で処理したいところだと思いますが、それもできなくなってしまうと、翌朝家族から責められることになります。
そうなってしまうと患者さんが自ら口を開くチャンスはなくなってしまうのでしょう。
先日ある入院された患者さんから以下のような話を聞きました。
『かなか寝付けず睡眠薬で眠ったあと、ふと気づくと私は病院を抜け出して、知り合いのマンション経営の男性の空き部屋に逃げ出していました。この辺りから記憶はあいまいになります。しばらくして私は、太い綱でがんじがらめに足腰を縛られているのに気づきました。助けを呼ぶと、感じの良い目のきれいな女性が現れ<病院の者だ>と名乗りを上げ、私はほっとした安心感を得ました。また少しして、マンション経営の男性とこの女性との間で怒鳴り合いが起き、私は女性が私を助けてくれるものと期待しました。しかしその後2人の姿は消え、綱で縛られたまま私は殺されるものと覚悟し、「なぜ私が殺されなければならないのか?<私はどんな罪を犯したのか>等々と恐怖に捕らわれたままでいました。しばらくして突然私が置かれている部屋に家具に見覚えがあるのに気づきました。<病院に戻されたのだ、命を助けられたのだ>ことがわかりほっとしたとたん、先ほどの女性が眼前に現れ思わず、「助けていただいてどうもありがとうございます>と言ったのを覚えています。もう朝方のようでした。しかし綱はそのままでした。そのあと私は眠り込んだので記憶は何もなく、知らない間に綱ははずされていました。』
この患者さんお話は夢なのか、幻覚なのかは微妙ですが、患者さんが入院後一時的に拘束されたのは間違いないでしょう。
患者さんの立場から考えると拘束されることによりこのような気持ちにさせることを私達医療者も十分理解しなければと思います。
そして患者さんが暴れるなど困った症状の背景に幻視・幻覚があることも忘れてはいけないと思います。